ルイス・キャロルってどんな人?②キャロルの少年時代

2021.06.30

不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』の作者として知られているルイス・キャロル。彼についての様々なエピソードを紹介する「ルイス・キャロルってどんな人?」の第2回目です!

前回の「ルイス・キャロルってどんな人?①2人のアリス」では、「アリス」の成立のエピソードをご紹介しました。
キャロルはアリス・リデルとその姉妹たちとボート遊びに出かけ、彼女たち楽しませるため即興でお話を作りました。この時のお話は1864年に『地下の国のアリス』というタイトルでアリスに贈っています。文も挿絵もキャロルの手書きでした。

▲『Alice’s Adventures Underground/地下の国のアリス』(ルイス・キャロル、2003年(初版1864年)、Chrysalis Children’s 刊)

今回のコラムでは、キャロルが『アリス』を生み出すまでに通ずるような、少年時代のエピソードをご紹介します。

まずはキャロルの生い立ちについて振り返ります。
キャロルは1832年1月27日にチェシャー州のダーズベリという村で生まれました。父は牧師のチャールズ・ドジスン(以下、ドジスン氏)、母は彼のいとこのフランシス・ジェイン・ラトウィッジです。
ドジスン氏とフランシスの間には、男4人、女7人の計11人の子どもたちが生まれました。キャロルはその第3子、長男でした。ダーズべリではドジスン氏の給料は十分とは言えず、徐々に苦しくなる生活に頭を悩ませていたようです。しかし、ドジスン氏の仕事ぶりが評価され、1843年にクロフトの牧師館に移ることができました。

クロフトに移って翌年の1844年には、キャロルは親元を離れリッチモンドスクールに通い始めます。成績優秀で、校長先生から両親へキャロルの優秀さについて手紙が届くほどでした。
その後ラグビー校に通うことになるのですが、そこでキャロルを待っていたのは辛い現実でした。というのも、上級生による下級生への辛い仕打ちなど、あらゆることに耐えながら勉学に励まねばならなかったのです。後にキャロルはラグビー校でのことを、どんなに頼まれても戻りたくない、と語っています。そしてラグビー校を卒業後、1851年に生涯を過ごすことになるオックスフォード大学クライストチャーチに入ることになります。

さて、リッチモンドスクール時代、13歳のキャロルは家庭回覧雑誌『実益と教育のための詩(原題:Useful and Instructive Poetry)』を作ります。この『実益と教育のための詩』を含め、全部で8種類の家庭回覧雑誌を作っており、彼の最初の作品群といわれています。
この『実益と教育のための詩』は、弟ウィルフレッド(当時7歳)と妹ルイザ(当時5歳)のために作られました。文・挿絵、ともにキャロルの手書きとなっています。また、弟妹らに向けた人形劇の台本を書き、上演していたようです。

キャロルは11人兄弟の長男ということもあり、弟妹の面倒を見ることも多かったようです。クロフトで弟妹を楽しませようと色々な遊びを考えました。クロフトの牧師館には、建物の裏側に大きな菜園があり、その菜園の通路や手押し車、トロッコなどを利用した「汽車ごっこ」という遊びを考案ていたようです。
また、旅先で出会った子どもたちと遊ぶためにゲームやおもちゃを持ち歩いていたり、「ダブレット」(言葉遊びのゲーム)をはじめとした、様々なゲームの考案もしました。子どもたちを喜ばせようとする姿勢や遊びなどを考案する発想力は、少年時代から培われていったものと見られます。

さらに、芝居への関心も生涯持っていたようです。
キャロルはクライストチャーチで特別研究生に選ばれました。これは生涯クライストチャーチで生活できるかわりに、聖職の資格を取得し、かつ独身でなければいけないという条件がありました。キャロルは「執事(deacon)」に任命され、これをうけています。
1885年にいとこへ書いた手紙の中でキャロルは、特別研究生に選ばれた頃のことを書いています。それによれば、キャロルは色々な人に相談し、自分が聖職に向いているのかを見極めるために、とりあえず「執事」の任命を受けることにしたようです(この手紙によれば、「執事」は自身を「俗人同然」とみなせるような地位だったようです)。キャロルとしては、数学者の立場を手放して牧師職に就くことは、あまり考えていなかったことがうかがえます。

この理由の1つに、当時教会等では、劇場があまり良くないものとされていたことがあるといわれます。
少年時代より芝居に関心のあったキャロルは劇場によく足を運んでいました。牧師職につきそれを制限されるのを避けたのかもしれません。
また、キャロルの幼い友人たちの中には、こうした劇場で活躍した子どももいました。そのうちの1人に、アイザ・ボウマンという少女がいました。アイザは、戯曲化された『不思議の国のアリス』で主演を務めた少女です。彼女の名前は、『シルヴィーとブルーノ』という作品の、巻頭詩に組み込まれています。

Is all our Life, then, but a dream       
あらゆる私たちの人生は、夢なのだろか
Seen faintly in the golden gleam  
あの黄金の輝きの中に、かすかに見える
Athwart Time’s dark resistless stream? 
時間の暗く逆らうことのできない流れを横ぎって

Bowed to the earth with bitter woe,  
苦い悲しみのために地に頭を垂れて、
Or laughing at some raree-show,   
あるいは覗き眼鏡に喜び、
We flutter idly to and fro.    
私たちはぼんやりとあちこちをうろつく。

Man‘s little Day in haste we spend, 
人の慌ただしい短い日々を私たちは過ごして、
And, from its merry noontide, send 
陽気な真昼から、
No glance to meet the silent end.  
静かな終わりに一瞥も送らない

(参考:『シルヴィーとブルーノ』(ルイス・キャロル著、柳瀬尚紀訳、れんが書房)

詩の頭文字(赤字部分)をつなげると「ISA BOWMAN」となります。さらに、各まとまりの1行目に注目してみてください。
1行目の先頭の3文字(赤字+青字部分)を抜きだすと、これも「ISA BOWMAN」となります。これは「アクロスティック」といわれます。
『シルヴィーとブルーノ』(ルイス・キャロル著、柳瀬尚紀訳、れんが書房)は、軽井沢第1展示館にある「吉田新一文庫」内で展示中です!ぜひ皆様の目で確かめていただけたらと思います!


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学芸員 畑中